名古屋城
以下の文章は「日本の城 ポケット図鑑」/西ヶ谷恭弘著/主婦の友社刊を参照させていただいています。
管理人が名古屋城を訪れたのは1996年7月16日のことでした。
丁度大相撲名古屋場所と重なっていて、近くはお相撲さんが沢山歩いていました。
非常に暑い日だったのを覚えています。名古屋城への行き方です。
正門は名古屋駅から市バスに乗り、名古屋城正門前で下車。
東門は地下鉄名城線市役所駅で下車すると、徒歩5分くらいです。
市バスでは市役所で下車すると近いです。
管理人は遠い方から行ってしまったらしく、正門が分からずにぐるぐると歩き回っていました。(^^;地図
名古屋城
名古屋市中区名古屋城公園料金
区分 個人 30人以上の団体 100人以上の団体 観覧料
大人 500円 450円 400円 小人(中学生以下) 100円 90円 80円 開園時間
午前9時〜午後4時30分見学所要時間
約60分休園日
12月29日〜31日、1月1日有料駐車場
正門前・東門前
区分 単位時間 料金 普通車 30分以内毎に 180円 二輪車 30分以内毎に 100円 大型車 1時間以内 600円 30分増す毎に 600円 お問い合わせ
入園・催事等
名古屋城管理事務所
〒460 名古屋市中区本丸1-1
TEL 052-231-1700土産品・食事・駐車場等
名古屋城振興協会
〒460 名古屋市中区本丸1-1
TEL 052-231-1655名古屋城全景
本当に見事ですよ。
少し近くへ寄ってみました
名古屋城は別名、蓬莱城、柳城、金城などと呼ばれます。
名古屋城といえば、金鯱で有名ですね。
金鯱は、慶長17年(1612年)に造られた際は雄が8.65尺、雌が8.5尺で、使用した金は大判1940枚、小判1万9975両であったそうです。
残念ながら、この金鯱をのせた大天守と、小天守、壮麗を極めた本丸御殿は、昭和20年の空襲で灰に帰してしまいました。
戦後、焼け落ちた天守台石垣下より金鯱の溶けた破片を集め、茶壺が作られました。この茶壺が二の丸庭園の四阿内にあるので、見学してみると良いでしょう。名古屋市のマークが大きく刻まれているのが特徴です。天文元年(1532年)、織田信秀は今川氏親(義元の父)の築いた那古屋城(”那古屋”とは、”名古屋”の古名です。)を奪って、わずか3歳であった嫡男信長を城主とし、自らは古渡城(現・本願寺東別院)を居城としました。
信長は那古屋城で成長し、弘治元年(1555年)に清洲城を攻略して、これに移りました。
那古屋城には叔父の信光が入りましたが、間もなく林道勝が城代となりました。
永禄3年(1560年)、信長は桶狭間の合戦で今川義元を討ち、尾張国内を統一、同6年(1563年)に小牧山城を築いてこれに移ると、那古屋城の存在価値が失せ、廃城となりました。
再び那古屋城が歴史上に登場するのは、慶長14年(1609年)のことです。徳川家康が、清洲城主であった子、義直と共に那古屋城址を訪れ、ここに大坂方の動きを封じ、東海道の押さえとして一大城郭の築城を決め、西国諸大名に手伝いを命じたのです。これがいわゆる天下普請です。
作事奉行は小堀政一、縄張は牧野助右衛門、大工棟梁に中井正清、大工頭は岡部又右衛門で、加藤清正は独力で天守台石垣を構築しました。今も石垣に、天下普請を物語るおびただしい符号や刻印が見られます。
慶長17年(1612年)には本丸殿舎が完成し、天守には金鯱があげられ、翌18年(1613年)に三の丸の工事が始まりましたが、大坂冬の陣が勃発したため、中断しました。その後、三の丸を築く必要がなくなったため、名古屋城は未完の城といえます。
名古屋城は空堀となっていますが、背後は広大な湿地帯と水堀になっているため、背後から攻められる危険性は全くありませんでした。敵を正面に集中させて、押し寄せた敵を背後から回り込んで撃つ戦法を物語っているといえるでしょう。