赤座七郎右衛門(あかざ-しちろうえもん) 美濃〔馬〕
?〜天正10年(1582年)6月2日
越前の出身とも言うが、美濃で斎藤氏に仕え、その後弟助六郎と共に信長に仕えた。 永禄12年(1569年)1月、本圀寺で三好三人衆らと戦う。以後は信長馬廻りとして、越前朝倉攻めなどに従軍。天正3年(1575年)11月の信忠の家督相続に伴い。これに帰属したらしく、同7年7月、前田玄以らと共に信忠より遣わされて、井戸将元を誅殺している。 同10年2月、信忠に従い、武田攻めに参加。恵林寺焼き打ちの奉行を務める。6月2日、二条御所で信忠に殉じた。茶湯の造詣が深かったらしく、津田宗及の茶会にしばしば出席しているが、晩年は「入道紹意」と号している。 |