朝倉景鏡(あさくら-かげあきら) 越前〔外〕


?〜天正2年(1574年)4月15日

式部大輔。信長に降った後の実名は「信鏡」。

朝倉義景の従兄弟。朝倉家臣の最右翼として重用され、しばしば近江に出陣して信長軍と戦う。しかし天正元年(1573年)8月、越前に攻め込まれた時、裏切って義景を自殺に追い込み、信長に降る。

その功によって信長に赦され、大野城主となる。だが、体制上は守護代前波吉継の下に甘んじていた。

翌年、一揆が蜂起して吉継を殺す。景鏡もこれと戦ったが防ぎきれず、4月に平泉寺で殺された。

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織田信長家臣団 ア行