阿閉貞征(あつじ-さだゆき) 近江〔与→旗〕


?〜天正10年(1582年)6月

淡路守。伊香郡山本山城主。「阿閉」は「アベ」「アトジ」等と読まれているが、『豊鑑』に「安土」の字が充てられているため、「アツジ」が正しいだろう。

浅井氏の将として山本山城を守っていたが、天正元年(1573年)8月、子の貞大と共に信長に降参。すぐに朝倉攻めの先手を務めた。

浅井氏滅亡後、江北は羽柴秀吉に一職支配権が与えられる。阿閉は山本山城と伊香郡内の本領を安堵されて、秀吉の与力となったものと思われる。次第に秀吉の圧迫が募ってきたか、その後、竹生島にある扶持を秀吉の取られた旨、貞大が信長側近の管屋長頼に訴えている。

天正5年より秀吉は播磨に赴くが、阿閉父子は近江に留まって、信長の旗本となった。だが本能寺の変の後、光秀に加担して長浜城を攻める。山崎の戦後、秀吉方に捕らわれ、一族もろとも処刑された。磔刑にされたとも言われる。

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織田信長家臣団 ア行