粟屋勝久(あわや-かつひさ) 若狭〔与〕


生没年不詳

越中守。若狭武田氏の四老の1人として、佐柿国吉城に居す。永禄年間、国吉城に籠って、朝倉の大軍をしばしば撃退したという。

元亀元年(1570年)には、他の若狭衆と同じく信長に服属しており、この年4月には、越前出陣の途の信長の宿所にされている。天正3年(1575年)7月、主君武田元明を擁して上洛。信長に出仕した。

しかし若狭は、宿将丹羽長秀の支配が進み、粟屋ら若狭の国衆はこれに従属していく。天正9年2月の馬揃えでは、長秀に従って行進している。

本能寺の変後は秀吉に仕え、馬廻となった。

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織田信長家臣団 ア行