生駒家長(いこま-いえなが) 尾張〔馬〕
生没年不詳
八右衛門。蔵人家宗の子。丹波郡小折村の生駒家は広大な屋敷を持ち、灰と油の商いで栄えたと『武功夜話』にあるが、永禄3年(1560年)9月、家長が信長より諸荷物馬1匹の関税を免除されているのを見ると、それは事実のようである。若い頃の秀吉がしばらく住み込んでいたという。 商人の一面を持ちながらも、織田家に仕え信長の馬廻として活躍。元亀元年(1570年)4月の越前攻めに従軍して、信長へ突きかかってきた敵兵より信長の身を救い、自らは負傷したという。同年の姉川の戦にも、佐々成政に属して高名を挙げる。 本能寺の変後は信雄に従い、1300貫文を知行。その後秀吉に従い文禄年中、小折村やその近辺の都合、1954石を与えられている。 妹吉乃(久庵)は信長の実質上の正室で、信忠・信雄・五徳(松平信康室)を産んだ。 |