磯野員昌(いその-かずまさ) 近江〔将〕


生没年不詳

丹波守。浅井氏の重臣。永禄4年(1561年)より佐和山城主として、対六角氏の最前線となる。

対信長戦略においても浅井・織田の接点を固めて果敢に抵抗し、元亀元年(1570年)6月の姉川の戦でも先陣として活躍した。その後の信長軍の佐和山攻めにも執拗に抵抗し、半年余り持ちこたえた末、同2年2月、籠城の兵を小谷城に入れる条件でようやく開城した。そして自らは高島郡大溝へ送られた。

その後の員昌は高島郡にあって、信長より宿将並に扱われた。郡内の朽木元網・多胡宗右衛門に対する宛がいの事実も見られ、信長朱印状の副状そえじょうも発給している。降将に対する信長の異例の待遇といって良い。

以後も忠実な信長の部将として、天正3年(1575年)8月の越前一向一揆攻めなどにも従軍した。しかし同6年2月、突然出奔した。その原因についてもその後の員昌の消息についても、明らかではない。

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