伊籍(いせき)


字は機伯。山陽の人。けい州の刺史劉表の幕客。劉表は劉備に献上された馬を何の説明もせずに劉備に送り返すが、その馬が実は「的盧」と呼ばれる凶馬であることを知って劉備に告げる。伊籍はその際、劉備の悟りきった態度を見て感服する。後、劉表の後妻蔡夫人の弟蔡瑁が宴席上で劉備殺害を企てていることを前もって劉備に知らせる。宴会が始まると盃を持って劉備の前に進み、西門から逃げよと耳打ちする。劉備は逃走したが、目の前は檀渓、深い谷。背後は追手。谷川に踏み込むと「的盧」はがくりと前足がくじける。「的盧、ついに祟ったか」と叫んだ瞬間、馬は一躍三丈、対岸に跳び上がって劉備は助かった。

劉表の死後、劉表の長子劉gの使者として劉備を訪れ、「劉表の次子で蔡夫人の腹の劉jの一党を滅ぼしてけい州を取れ」と進言するが、劉備は決断がつかず、とりあえず曹操軍に対抗するため江夏で軍を整えるために帰る、やがて襄陽を手に入れた劉備に、伊籍はこの土地の賢者の馬良ら5人の兄弟を推薦する。

蜀取りを目指す劉備だが、軍師ほう統を失い、いよいよ諸葛亮(孔明)が出馬することになる。伊籍は孔明に命ぜられ、けい州の守備をする関羽の補佐としてけい州に留まった。後、成都入りした劉備から伊籍にも恩賞の沙汰があった。東川(漢中)を取った曹操への牽制として、呉の孫権に合肥を攻めさせるための使者に自ら名乗り出、、見事に役目を果たして帰る。襄陽にいる魏の曹仁を攻める関羽の参謀を、馬良と共に務める。呉の呂蒙が関羽の隙をついてけい州を取ると、成都に救援を求めるため馬良と共に出発し、到着して関羽の手紙を劉備に差し出したが、時既に遅く、関羽は呉に捕えられて既に処刑されていた。後、昭文博士(「※蜀志」伊籍伝には昭文将軍とある)として、劉備を帝位に即位させようと企てたメンバーの1人となる。

※「蜀志」伊籍伝は極めて簡潔。呉に使いしたことが中心で、「的盧」の1件は文学的創作である。

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三國志 ア行