決戦

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コーエー定番シリーズ 決戦

お役立ちデータ

シナリオ1〜6に登場する武将の能力を紹介します。
色分けは水色=シナリオ1〜6を通じて東軍の武将、グリーン=シナリオ1〜6を通じて西軍の武将、ピンク=シナリオによって陣営の変わる武将となっています。
武将名 戦闘 知謀 魅力 大局眼 史実において立場・活躍など
明石全登 83 66 71 A 宇喜多秀家の家臣。関ヶ原では西軍、大坂の陣では豊臣方について徳川家康と戦った。
浅野幸長 71 75 76 B 五奉行の1人、浅野長政の子。豊臣秀吉の親戚だが、石田三成と仲が悪く家康についた。
安国寺恵瓊 10 80 10 E 毛利家の外交僧。関ヶ原では西軍につき、主筋の毛利家を戦場まで引っ張り出した。
井伊直政 82 78 79 A 徳川家康の家臣。井伊の赤備えと呼ばれた騎馬軍を率いて多くの戦場で武功を挙げた。
池田輝政 63 69 71 B 織田信長の家臣、池田恒興の子。関ヶ原では東軍につき、岐阜城攻略に功績があった。
石田三成 60 90 50 B 五奉行筆頭。豊臣秀吉の死後、専横の姿勢を見せる徳川家康と対抗し関ヶ原で戦った。
宇喜多秀家 73 57 77 A 備前の大名。豊臣秀吉にかわいがられ、関ヶ原ではその恩に報いるべく西軍についた。
大谷吉継 79 81 86 A 石田三成の親友。経済官僚ながらも戦巧者の名があり、関ヶ原では三成の参謀となる。
大野治長 44 67 44 D 豊臣家の家宰。ミニ三成的人物で、大坂の陣では豊臣方のまとめ役となり家康と対抗。
小川祐忠 51 71 40 D 関ヶ原では西軍につくも、合戦中に寝返る。戦後、その功績は認められず改易された。
加藤清正 87 74 84 S 肥後半国の大名。秀吉の子飼いだが、三成と仲が悪く関ヶ原では家康のため尽力した。
加藤嘉明 77 56 58 A 賤ヶ岳の戦いで名を上げた猛将。三成とは不仲であり関ヶ原では東軍について戦った。
可児才蔵 89 30 52 C 福島正則の家臣で戦巧者。獲った首に笹の葉で目印をしたので笹の才蔵とも呼ばれた。
蒲生郷舎 84 63 70 B 石田三成の家臣。同僚の島左近、前野兵庫らと共に関ヶ原では東軍相手に奮闘した。
吉川広家 55 79 57 A 毛利家の家老。関ヶ原では毛利家が西軍につく非を説き軍を戦闘に参加させなかった。
京極高知 46 64 56 C 元秀吉の家臣だが、関ヶ原では東軍につき岐阜城攻めや関ヶ原の本戦で活躍した。
黒田如水 75 100 90 S 秀吉の名参謀。秀吉の死後は引退したが、関ヶ原の時に九州で独立しようとした。
黒田長政 73 84 75 A 黒田如水の子。戦略家として優れ、関ヶ原の決戦前には西軍内の切り崩しに尽力した。
後藤又兵衛 86 65 83 A 黒田家の家臣。主君長政との仲が悪く後に出奔、大坂の陣では豊臣方について戦う。
小西行長 54 77 68 A 元商人だが才能を買われ秀吉の家臣となる。石田三成の親友で関ヶ原では西軍についた。
小早川秀秋 50 40 48 B 秀吉の親戚。関ヶ原では初め西軍につくも、西軍敗退の決定打となる裏切りを行った。
酒井家次 58 58 62 B 徳川家康の家臣。父の忠次は戦巧者として名高いが、家次は経済官僚の手腕があった。
榊原康政 85 70 69 A 徳川家康の配下で四天王の1人に数えられた。関ヶ原でも家康のもとで奮闘した。
佐竹義宣 66 70 81 A 石田三成と仲が良かったが、東国に領地があったため、関ヶ原では中立の立場を取った。
真田昌幸 75 98 85 S 関ヶ原では西軍につき徳川秀忠を上田城に釘付けにする大功績を挙げる。後改易。
真田幸村 98 85 98 SS 真田昌幸の子。戦上手で大坂の陣では豊臣方につき徳川方を散々に苦しませた。
島左近 94 83 88 S 石田三成の軍事面を支えた猛将。関ヶ原では前線に立ち奮闘するも銃撃により戦死した。
島津豊久 72 61 72 A 島津家の一族。石田三成の無礼さに腹を立て、合戦中は島津軍を動かさなかった。
島津義弘 96 76 96 S 薩摩の大名。猛将の名が高かったが、関ヶ原では手勢が少なく活躍はできなかった。
立花宗茂 92 75 87 S 名将立花道雪の養子。関ヶ原では西軍につき大津城攻めに功があったが、戦後改易。
田中吉政 61 71 65 B 元秀吉の家臣。関ヶ原では東軍につき、戦後石田三成を捕らえた功績で大大名となる。
長宗我部盛親 81 52 77 A 土佐の大名。関ヶ原の時は西軍についたが、家中をまとめられず活躍はできなかった。
寺沢広高 48 68 53 B 元秀吉の家臣。経済官僚として知られるが、関ヶ原では東軍に従い武功を挙げた。
藤堂高虎 65 88 60 A 秀吉死後家康に近付き、家康の走狗となる。このため関ヶ原後も家康にかわいがられた。
徳川家康 80 92 100 S 秀吉の死後、敵対する石田三成を破って大勢力を得る。後に江戸幕府を開設する。
徳川秀忠 40 82 20 C 家康の三男。戦下手だが経済官僚としての手腕は巧みで、家康の死後江戸幕府を継ぐ。
長束正家 20 73 46 D 三成と同じく五奉行の1人。関ヶ原では西軍につくも実際に戦闘は行わなかった。
鍋島直茂 74 87 76 S 肥前の大名。関ヶ原では初め中立の立場を取ったが戦後東軍となり家名の存続に成功した。
塙団右衛門 72 10 64 D 加藤嘉明の家臣だったが、仲違いをして出奔。大坂の陣では豊臣方として戦った。
福島正則 90 51 74 A 秀吉の子飼いの武将だったが、三成と敵対して東軍に。関ヶ原では最も奮戦した。
細川忠興 71 78 73 A 元秀吉の家臣だが、三成と仲が悪く、福島正則、加藤清正らと共に三成に対抗した。
本多忠勝 88 74 89 S 徳川家康の家臣。徳川家中で最も強い武将と呼ばれ、武勇を秀吉にも愛された。
本多正信 30 96 30 E 知将。関ヶ原では秀忠の補佐をしたが、真田一家に翻弄されいいところがなかった。
松平忠吉 59 62 67 A 徳川家康の子。関ヶ原では井伊直政に補佐され奮戦した。戦後、尾張の大大名となる。
松野重元 69 44 54 D 小早川秀秋の家臣。関ヶ原では秀秋の裏切りを憤慨し、1人戦闘に加わらなかった。
毛利輝元 52 59 78 B 西国の大名。石田三成に祭り上げられ西軍の総大将となるも関ヶ原では戦わなかった。
毛利秀元 62 53 61 A 毛利輝元の代理で関ヶ原に出たが、吉川広家の言葉に従い戦闘は行わなかった。
毛利勝永 76 73 73 B 元秀吉の家臣。関ヶ原では西軍に属すも敗退。後大坂の陣で豊臣方について戦った。
山内一豊 53 72 51 B 関ヶ原前夜、家康に対し自城と人質を渡す発言をして喜ばれた。後土佐の大大名に。

 

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