平安京の区画


南北1753丈(約5.3Km)、東西1504丈(約4.6Km)で、整然たる区画に分けられています。
Excelを使用したため、地図の方は縦の文字が横に寝ている状態です。
読みづらくてすみません。
本当に正確な地図というわけではありませんが、大体こんな感じだったと想像してみて下さいね。

大きくてすみません。
1一条院・・・藤原
伊尹これただ(謙徳公)邸。一条天皇がしばしば行幸し、「今内裏」と呼ばれていました。
2河原院・・・左大臣源とおる邸。塩釜の風景を模した庭園は、多くの文人墨客に讃えられました。
3
京極殿きょうごくどの・・・藤原道長邸。その壮麗さは、『紫式部日記』の巻頭からもうかがわれます。
4
紅梅殿こうばいどの・・・藤原道真邸にあった文庫。「こち吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」と詠まれた紅梅がありました。
5
高陽院かやのいん・・・藤原頼道邸。もと、賀陽親王(桓武天皇の皇子)の住居でした。
6東(西)
鴻臚館こうろかん・・・平安京を訪れた外国使節の館舎。文化交流の場でした。
7穀倉館・・・食料等を収納する朝廷の倉庫。
8左(右)京
しき・・・京中の司法・警察などを司った役所。
9
綜芸種智院しゅげいしゅさいん・・・空海の創設した私立の学校。
10神泉苑・・・桓武天皇の時に造営された禁苑の1つ。天皇遊宴が行われていました。
11朱雀院・・・嵯峨天皇の時代に造営され、後に天皇累代の後院(譲位後の御所)となりました。
12朱雀大路・・・大内裏朱雀門から羅城門に至り、都を右京と左京に分断する大路。
13大学寮・・・天智天皇の時に設置された、貴族の子弟を教育する公立の学校。
14
東(西)市ひがし(にし)のいち・・・市場。日用品が売買されていました。
15東(西)寺・・・平安遷都の際、新都を守護する寺として建立されました。西寺は10世紀末に焼失してしまいました。
16羅城門・・・朱雀大路の南端中央に位置し、都の威容を誇った二重閣・七間の総門。
17
冷泉院れいぜいいん・・・嵯峨天皇創設。以来、後院となりました。

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