随心院


随心院といえば、友雅との思い出が甦りますね。
現在も「遙かなる時空の中で」に出てくる随心院とほぼ同じような感じで残っています。
写真はスキャナで取り込んでおりますので分かりにくいです。
それからちょっと邪魔な方が写っていますが、声を掛けるわけにもいかなかったので、ご了承下さい。(^^;)
随心院入り口
真言宗宗善通寺派の総本山にして、小野小町ゆかりの地です。
ゲームに出てくる百夜通いの物語は、小野小町の元に通い続けた深草少将の物語です。
小野小町の歌碑?
承久應仁の兵乱でことごとく灰となってしまいましたが、慶長4年(1599年)に本堂が再建されました。
だからやっぱり属性は火?
謡曲「通小町」と随心院について書かれております(邪魔な方が・・・(^^;))
奥には醍醐天皇陵もあります。
小野小町化粧の井戸
随心院には小野梅園あり、石楠花の老木ありと、素晴らしい自然の景色も楽しめます。
この奥が梅園となっております
小野小町は小野篁の孫にあたり、出羽の国司を勤めた良実の娘であるとされています。
庭園・殿舎拝観入り口
また、日本人名辞典には出羽の郡領小野良実の娘にして、仁明の朝五節の舞姫として、宮中の後宮に仕え、容貌秀絶にして一度笑めば百媚生じ、和歌は巧にして悽婉女流第一の名手たり、と謳われています。
落ち着いた雰囲気。雪のように見えますが、雪ではありません。(^^;)
当時の書家小野道風は小町の従兄にあたる人物です。
これが文塚です
小野小町の生涯は判然とはしませんが、弘仁6年(815年)頃生まれ、平安朝初期、仁明天皇が東宮にあられた時より崩御されるまでお側に仕え、特に盛艶優美、詠歌の妙を得た小町は東宮の寵幸を一身に受け、即位されてからは更衣として仕えました。
橘家はそば屋を営んでいた!(笑)
随心院はとても落ち着いた場所で、奥書院や庭園も素晴らしい所でした。
こんな場所で瞑想すれば悪い心なんて吹き飛んでしまいそうです。
ところで、すぐ隣りに友雅の家発見!
というのは冗談ですが、本当に「そば処 萬寿亭 橘」というおそば屋さんがあったんですよ。(笑)
まさか、遙かのスタッフはこれを見て友雅の名前を決めたとか?(爆)
この「そば処 萬寿亭 橘」についてのレポートページを見つけたのでご紹介。
覗いてみて下さいね。


文章は随心院のパンフレットを参照させていただきました。

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