越甲の葛藤
当時は我が国は戦国時代の真っ最中であり、天文・永禄(1533年〜1570年)から元亀・天正(1570年〜1592年)にかけて、諸国の優れた大名共がそれぞれ絶大の気を負って、群雄を征服して天下を統一することを目標とし、各その領国に偶居して睨み合っていました。その中で最も強大な者を挙げるとすれば、甲斐の武田、相模の北条、駿河の今川、長門の毛利、及び謙信でした。そして織田氏がその間に介在していました。殊に越後の上杉と甲斐の武田とは領国が接しており、利害が最も密接であったため、各相対峙して下らないこと20余年の久しきに渡り、その中でも永禄4年9月10日の大激戦は、いわゆる川中島一騎打ちの戦いとして史上で最も有名です。