北陸の平定


謙信の越中方面に於ける経営は、永禄3年椎名氏を授けて神保氏と干戈かんかを交えたのに始まります。やがて越中諸豪との関係となり、また一向宗徒との抗争に発展しました。更に能登・加賀・越前の出陣となり、飛騨までも手が延びました。そして初めの間は武田が北越の諸将をそそのかして越軍の鋭鋒を抑えようとしたのですが、後には多く織田氏との関係に変わってしまい、これによって兵馬を労することとなりました。

そして一向宗徒の向背が常に定まらず反復常なき有様であるので、この間に武田・織田の乗ずるところとなりました。しかも謙信が畢生ひっせいの志望である所の尊皇、嵩覇(皇室を中心として日本を統一する)大業を遂行しようとするには、まずこの方面を開拓して西上の道を通じなければなりません。この大いなる目的のために征戦18年に亘り、ついに越中・加賀・能登の三国を平定し、越前・飛騨の半部を領して勢力が若狭まで延びたまま、中原の関門に迫ったというべきでしょう。

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◆上杉謙信◆