越中を平らぐ


天正元年(1573年)7月、謙信は越中を平らげ河田長親、山浦国清らを加賀に入らせて8月10日、自ら進んで同国朝日城を攻めました。間もなく敵が降参し、その上関東の急が報じられたので4月21日、兵を越後に回しました。

天正4年に前将軍の義昭が諸国流浪の末、謙信の元に来て謁し、旧業の回復を請いました。そして謙信と一向宗徒との葛藤が西上の道を塞ぐのを慮り、本願寺光佐との間にたって調停の労を執ったのです。お陰でこの年5月、両者の和議が成立しました。そこで一向宗徒の乞いを容れて、力を合わせて織田信長に当たることとなりました。

◆前◆◆後◆

Line

◆上杉謙信◆